「年俸」と聞くと、スポーツ選手の契約更改などの印象を受ける方も多いと思いますが、企業においても現在では年俸制が採用されているケースが見受けられます。しかし開業初期に何となく年俸制を採用したことで、開業3年目あたりで社員数が増加した際に思わぬ人件費の圧迫を招いたり、IPO(新規上場)を目指す中で、気づかぬうちに残業代の未払いが発生していたといったケースも散見されるようになっています。今回は年俸制における運用注意点についてご紹介致します。
【年俸制とは】
年俸制とは1年間における給与総額を、あらかじめ企業と労働者で合意をしたうえでスタートする制度です。この給与総額においては一般的に賞与を含んで金額を決定します。年俸額の決め方については法律上のルールがあるわけではなく、各企業が決定することとなります。企業にとっては固定費の代表格ともされる人件費について見通しを立てやすいことなどがメリットに挙げられ、労働者側から見れば自らが最低限受け取ることができる1年間の収入が見通せることから、例えばローンを組む際に返済額の計画が立てやすい点などもメリットとして挙げられるでしょう。
給与の支給方法については誤解されている方もいるようですが、労働者に一括で支給されるわけではなく、取り決めした年俸額を12等分割(14等分割などのケースも有り)にして毎月支給されることになります。これは労働基準法第24条に賃金払いの5原則というものがあり、この中で事業主に対して「毎月1回以上」の給与支払いを義務付けているためです。
【誤った運用方法①】
一般的に多く誤った運用がなされているのが「残業代」です。「年俸制なので残業代は必要ない」と誤解されている方もいるのですが、年俸制は1年間の給与総額を労使間で取り決めはしているものの、会社に対する法律上の残業代の支払い義務が自動的に免除されるわけではありません。そのため年俸制を採用して労働者と同意していたとしても、企業は所定労働時間を超えた部分については通常どおりに残業代の支給が必要であり、法定労働時間を超えた部分については割増賃金の対応も通常どおりに必要となります。この点、企業によっては事前に固定残業手当を導入し、あらかじめ特定した時間数の残業代を含めて年俸額を算出しているケースもあります。しかしこの場合における固定残業手当についても、具体的に何時間分の残業代としているのかをきちんと労働者へ事前に明示することが必要であると共に、この特定した時間数を超過する残業が生じた場合には、超過した部分について追加の支払いが必要となりますので注意が必要です。
【誤った運用方法②】
そしてもう一点、誤った運用がなされているケースとして見られるのが「割増賃金の算定」の取り扱いです。通常、割増賃金の算定については「臨時に支払われたもの」・「1か月を超える期間ごとに支払われる賃金」などについては除外することが認められています。しかし、年俸制における「賞与」についてはあらかじめ金額が確定していることから、行政通達においても「賞与」としては該当せず、割増賃金の算定からは除外できないことが明示されています。
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年俸制で毎月払い部分と賞与部分を合計して予め年俸額が確定している場合の賞与部分は「賞与」に該当しない。
したがって、賞与部分を含めて当該確定した年俸額を算定の基礎として割増賃金を支払う必要がある。(抜粋)
- 平成12.3.8 基収第78号 -
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(例1)
・年俸制:420万円(基本給30万円、賞与 基本給1か月分 × 年2回)
・月平均所定労働時間:160時間(仮)
→ (420万円 ÷ 12か月) ÷ 160時間 ×
1.25 = 2,735円(端数切上げ)
(例2)
・月給制:基本給30万円
・別途、賞与 基本給の〇か月分 × 年2回
・月平均所定労働時間:160時間(仮)
→ 30万円 ÷ 160時間 × 1.25 = 2,344円(端数切上げ)
上記のように月給制(例2)で別途支払われる一般的な賞与は割増賃金の算定から除外できるわけですが、年俸制(例1)において予め組み込まれている賞与部分については例外として、算定の基礎に参入しなければなりません。そのためこのルールを把握しておらず、月給制と同じ感覚で賞与を算定の基礎から除外していると、無意識のうちに未払い賃金が生じているケースが発生するわけです。意外とこのあたりも盲点となっており、後々IPOにむけた上場審査の準備を進めている段階で発覚するといったこともありますので、やはり最初の段階で適切に運用しておくことが大切となります。
【その他の注意点】
ここまで述べてきたもの以外にも運用上の留意事項があります。年俸制は前述のとおり、一般的に賞与を含んで金額を決定しているケースが多く、当事者同士で賞与の金額を最初から確定させて合意しているため、労働者と合意したこの年俸額(賞与部分含む)は企業側から一方的には変更できないことになります。
そのため例えば、当該企業の業績が芳しくないと言った場合や、採用時に想定していたよりも労働者のスキル・能力が低く年俸額に見合わないといったケースに直面したとしても、合意した年俸額を企業の意思のみをもって直ちに変更することはできません。また、翌年の年俸額を算定(改定)するにあたっても、前年に比べて急激な減額を行うとなれば退職リスクの増加や労使トラブルに発展するリスクなども生じてきます。そのため年俸制は便利な仕組みとも言えますが、その反面きちんと将来的な運用イメージや様々なリスクを想定したうえで慎重に導入しないと、数年経ったときに思わぬところから、大きな問題が顕在化してくることがあるので留意しておく必要があるでしょう。
【まとめ】
年俸制については前述したような注意点もありますので、きちんとリスクなどを把握したうえで導入を検討・決定していただくことをお勧めいたします。少なくとも開業初期に「何となく良さそうだから年俸制」というイメージだけをもって導入することについては、慎重を期す必要があることはご理解いただけたことと思います。弊所では開業初期における賃金制度の設計などもご相談を承っていますので、お気軽にご相談下さいませ。
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